・・・なにも、歴史の話ではありません。。
あくまで自分自身の中での時の移り変わり、一般的には「人生の節目」とか言われるものです。
私はとても、この節目を乗り越えるのが下手です。
たとえ良い変化でも、それが時の流れを感じさせるものであると、とたんにやられてしまいます。
できることなら、何も変化なく、以前のままの状態にしがみつきたい、できれば変えたくない、元に戻りたい、元の時間の中にとどまりたい、先へ進みたくない、、、
こーーんな後ろ向きな思いにとらわれる人だとは、誰も思わないでしょう。。
実際には、心にどうしょもなく膨大なセンチやネガティブな思いを抱えながら、前向きに生きていくよう努力し続けているだけです。
けっして根が前向きなわけではありません。追っかけてくる悲しみや恐怖に飲み込まれないよう、必死で逃げ続けているのです。
昔、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」が流行りました。
あのお話の中で、主人公アトレーユと旅をする相棒の馬が、「悲しみの沼」を超えようと悪路を歩いていたところ、馬は足をぬかるみに取られて一歩も動けなくなってしまいます。
その沼は名前の通り、通る人に悲しみの想念を起こさせ、それにとらわれてしまった者を沈ませてしまうのです。
馬はみるみる悲しそうな目つきになり、その体はどんどん泥に埋まっていきます。
アトレーユは、、必死になって「ダメだ!悲しみにとらわれちゃ!! 歩くんだ!! 歩け!! お前、どんどん沈んでいるぞ!! ダメだーっ!!」と叫び、たずなを引っ張りますが、ダメです。。
馬は悲しみの沼に沈みました。アトレーユは泣きながら、自分も沈まないよう、歯を食いしばって走り抜けました。
・・・私も、この馬のようにならないように、必死にもがいて、とらわれそうな思いを振り払って、生きています。
自分の中でひとつの時代が終わって、新たな時に移ろっていく、それがはっきり意識できるときもあるし、後になって、「あぁ、あの時はもう終わっていたんだ、もう二度と戻れない」と気づくこともあります。
こんな「時」の感覚がなければ、どんなにか幸せだろう!!
特にこんな桜の咲く春に、そんな思いは強まります。自分にも、別れ・変化が訪れています。
本当に、あのお馬さんのように沈んでしまいそうな自分がいます。
でも、沈みません。
娘たちの母だし・・・ きっと、抜けてみせます。。

夜桜や 子の白き肌 浮かびたつ